長い話を終え、マリア先輩は、ほっと息をついた。
「怖かったの」
そう締めくくったあと、彼女はもう冷めてしまった紅茶に口をつけた。本来ならレッ
スン室でこんなことをするべきではなかった。しかし私が学生だったころも、グラーヴ
ェ先生に内緒で、私とマリア先輩はこうしてお茶やお菓子を食べていたか。
「ごめんね、コーデル」
そう言った彼女の顔は、泣きそうな子どものようだった。
――本当に、あのころと変わりない。
あれはもう、十五年前になるだろうか。
子どもの頃からフォルテールに慣れ親しんではきたが、本格的にプロを目指すという
志もなく、ただ惰性で学院への進学を決めただけだった。一ヶ月、二ヶ月と時間だけが
過ぎていく内に、私は次第に、フォルテールや学院での生活に魅力を感じなくなってい
った。
授業が三ヶ月目に入り、本格的なレッスンが始まった。このまま辞めてしまおうかと
も思ったが、月に二回だけある個人レッスンで、私は師と呼べる人物と出会い、そして
変わった。
グラーヴェ先生は、およそ初めて私のフォルテールの才能を完全に否定した人だった。
才能の面でいえば、けして私は恵まれていたわけではない。しかしフォルテールを弾く
ことの出来るという才能だけで、この国では貴重なものであったから、注意こそされた
が、非難はされなかった。
しかしグラーヴェ先生は、初めての個人レッスンの時に、私のフォルテールを聴いて、
一言だけ言った。
「君はなぜ、フォルテールを弾いているのかね?」
責めるようでもなく、興味があるようにも聞こえない口調で、彼は静かに言った。そ
れは私の抱えていた問題を、ひどく端的に表していた。そしてその言葉は私自身が考え
るべき問題であり、彼はただ、私に考えさせるために、そうした質問の形をとっただけ
だった。
「次のレッスンまでに、考えておくように」
言葉を詰まらせた私にグラーヴェ先生は、これ以上授業を続ける必要がないと判断し、
外に出ていった。呆然としながらも、私は彼の言うことを全面的に肯定していた。しか
し、考えることが多すぎてフォルテールを片づけることさえもできなかった。そこに戻
ってきたのが、そのときグラーヴェ先生の助講師をしていた、マリア先輩であった。
「自己紹介がまだだったわね。私はマリア・ローレン。マリアって呼んでね」
まだ頭はぼうっとしていたが、私はふと思いついた疑問を口にしていた。
「グラーヴェ先生は、あなたのことをそうは呼んでいなかったと思いますが」
「私の本当の名前は――エスク」
マリア先輩は、はにかむような笑みを浮かべ、とっておきの秘密を話す子どものよう
に、声をひそめて言った。
「エスク・マリア・ローレン」
そして、肩をすくめながら続けた。
「でもエスクって、なんだかあんまり綺麗な響きじゃないでしょ? だから、みんなに
は母からもらったミドルネームで呼んでもらってるの。コーデルもそう呼んでね」
そして私達は、友人になった。

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